TV放映に向けて


 前作の好評を受けて始まるガンダムSEED DESTINY(以下SEED−D)。
 その前段階として、KaiのSEED、そしてSEED−Dについての見解のようなものを公開しておきたい。
 もっとも個人的にはSEEDの評判はそれほど高くはない。むしろ低いほうだ。SEEDは、絵の綺麗さだけがウリの恋愛ゴッコドラマだと思っている。これは揺るがしようの無いことなので、SEED−Dに対する評価は、それを前提にやや斜めから見ていることを言っておく。
 よって、SEED−Dも恐らくどうしようもない作品になると思われるが、今回はまだマシな情報もあるので、実際は本編を見てみないと判らない。
 まあ、それはそれとして楽しむ方法は幾らでもあると開き直っていきたい。


スタッフ
 先ずは公開されているスタッフから。

監督:福田己津央
シリーズ構成:両澤千晶
キャラクターデザイン:平井久司
メカニックデザイン:大河原邦男山根公利藤岡建機
美術監督:池田繁美
音響監督:藤野貞義
製作:毎日放送サンライズ

 ここでの注目はやはり、監督とシリーズ構成の二人か? 福田監督はあの故神田武幸監督の愛弟子でありながら、群像劇の纏め方の下手さと監督としての手腕そのものに疑問がある。要するに作品に全く核がなく、テーマが二転三転して、ドラマを追っているほうは、何を見ていいのか判らない。
 テーマとは突然出てきたり、劇中で何度も変更されたりするものではなく、最初から最後まで貫かれていなければならない。異論は受け付けない。これば紛れもない事実なのである。本来のテーマが全く見えずにストーリーが続いていくと、その場その場では一喜一憂するが、全体に纏まりが無くなってしまう。そんなはずはない、と思うだろうか。少しでも創作活動をかじった者なら、或いは「テーマなんてなくてもいい」とか「テーマは幾つもある」、「テーマは後に出てきます」等と言うかも知れないが、それは間違っている。テーマというものはそんなものではない。テーマは作品の骨格なのだ。骨格のない、或いは骨格がなかなか出て来ない作品が、どれほど場当たり的で錯綜しているかは、SEED本作がより強く表しているのではないだろうか。
 1クール目で振るだけ振っておいた伏線も全く消化されておらず、前振りそのものは面白かったものの、しり切れとんぼも甚だしい。中盤がやたらとバンクが多かったのは、イラク戦争の影響か、それとも単なる進行の遅れか。それでももっとやりようはあったはずだ。
 ガンダムを恋愛ゴッコドラマにしてしまったのはシリーズ構成の両澤千晶の問題だろう。もちろん、今までにもガンダムに恋愛要素は数多くあった。クリスとバーニィしかり、シローとアイナしかり。どれも人気のあるエピソードである。
 だが、同人活動上がりの腐女子であるらしい両澤千晶には(こう書くと偏見っぽいが)真剣なドラマがどれだけ考証に基づいて書けるのか、疑問は尽きない(因みに両澤千晶は福田監督の実妻。彼女を起用するのは福田監督を置いて他に無い、等と噂されるが・・・?)。
 作中には設定的矛盾が山のようにある。イージス自爆の状況からどうやって生き延びられたのか、どうやってキラをラクスのいるプラントまで運ぶことが出来たのか、肝心なところが全く説明されない。
 フリーダムやジャスティスは何時どのように開発されたのか。Nジャマーキャンセラーの存在は? アズラエルがそのデータを手にして、僅かな期間に核ミサイルが出来たようだが、そのやたらと短い開発期間の辻褄合わせはどうしている?
 そもそも核反応が完全に封印されている世界で、アークエンジェルを始めとする艦艇の推進力は、何で得ているのか。次々と疑問が出てくる。
 何ら伏線もなく、唐突に明かされる謎。クルーゼの正体、キラとカガリの双子設定、人工子宮による誕生等はこじつけもいいところだった。
 キラとカガリは第1話で既に出会っているので、この二人が双子ならば、この時点で何らかの伏線を提示しておくべきだった。双子は元来、精神的な結びつきが強いと言われている。特にガンダム世界においては精神感応的描写が幾つかされているのに、ここではカガリが女の子であることすら気がつかない等、双子設定の伏線は微塵も見られない。ひょっとすると設定そのものは劇中で近付き過ぎた二人の関係をシャットダウンさせる為に後半になって無理矢理こじつけられたのではないか、そのような印象すら受ける。クルーゼとフラガの関係を見れば、精神的感応はこの二人よりも強く出てもいいようなものだが。
 キラ誕生の設定にしてもよく分からないし、そのどれもこれもが状況を作り出す為にその場その場で突発的に入れられているような感じだ。
 このような愚にもつかない設定が多数存在しながら放置されているのは何の為だ? このような設定を許して、作品にどんなメリットがある?
 答えがあるとするならば、キャラを動かす為、ということになるだろう。恋愛をさせる以上、それを劇的に見せるには悲劇的背景を背負わせるのが一番だ。もちろん一番安直な方法ではあるが、どうもそう言ったところに落ちてしまっているように見える。これは一重に監督、シリーズ構成と言った作品を牽引している人間の力量不足に他ならない。
 4クール目のふっきれたように暴れ回るフリーダムを見て、逆に不快感を感じたのは俺だけではあるまい。
 バンダイが前作の恋愛ゴッコに怒って、スタッフを軒並み入れ換えたという話も聞くが、実際のところはまだ判らない。ただ、少なくとも戦闘シーンだけは多くなることだろうと思う。人気作の続編、タイミングの早過ぎる再放送、海外戦略等を考えれば、一本の制作費はかなりあると思われるので、作画に関しては高いレベルを維持していることだろう。後は内容がそれについていくかどうかだ。



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