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日々雑感 1



いい加減にせい、この間違い電話
 今の家に引っ越して、もう1年と8カ月。だが、いまだに前家主にTELがある(中古住宅のため、電話番号自体は変わっていないのだ)。NTTには登録を済ませているので、最新のタウンページには、俺の名前で電話番号が乗っている。それでもかかってくるのは何故だ? まあ、電話番号のチェックなんて日頃するわけじゃないから、この前家主はよほど知人が多かったのだろう。まだまだかかってくる可能性は充分にある。
 その一方で、ちょっと?なTELもある。「りょうくん居ますか?」というやつ。名前からして若い奴っぽいし、かけてくるのも10代後半から20代前半と思われる女性。今でも頻繁にかかってくる。
 何故携帯じゃない? 若い奴が2年近く電話してないのか? 何か不自然だ。で、俺は邪推した。どうも、このりょうとかいう男、ナンパでつまみ食いした女に前の電話番号を教えているんじゃないだろうか。自分の本当の電話番号は教えたくないが、でたらめ言うよりはもう関係の無い電話番号のほうが説得力がある。そう考えると、女のほうはいいように遊ばれて、挙げ句連絡を取ろうにもTELは出鱈目。可哀相か自業自得かは、もうどうでもいい。
 今でも日に二度、三度と電話がある時もあるので、その度に“お前は遊ばれた、その場限りの女なんだよ!”と心の中で思う。ああ、我ながらなんて嫌なやつだ。今度かかってきたら、本当に聞いてみようか?
 でも、こんな間違い電話ばかりが続くと、変なことも考えてしまう。いい加減、りょうくん、は止めてくれ。


ドライバー達よ
 昨日、目の前でワゴンタイプの車が横転した。夜の2時近く、深夜勤務の帰宅中だった。ゴロンと横になる姿がはっきり見えたわけではないものの、間近でヘッドライトが90度回転する様は圧巻。バリバリと氷を踏みしめるような音がして、さすがに衝撃音はそんなに大きく無かったが、それが逆に生々しい。どうやら電柱を固定するワイヤーの上に乗り上げたようで、深夜ということもあり、大きな事故にはならなかった。上を向いたドアから抜け出したドライバーも無事。
 俺は免許を持ってないこともあり、自転車での通勤が長いが、幸いなことに事故にあったことは数えるほどしかない。車に引っかけられたとかそんな程度で、怪我したことも無かった。
 これからも是非、と思うが、どうも最近、ヒヤリとすることも多い。一番恐ろしいのが、道路へ出て行こうとする車を横切る時。ドライバーが向こう側を向いたまま振り向かないと、そのまま行っていいものかどうか困ってしまう。
 普段は後ろから回ったりと気を使うが、それが出来ない時も多い。仕方なく前を通ろうとすると、いきなり車が発進し、ぶつかりそうになることもしばしば。よく今まで当たってないものだ。
 その時のドライバーの驚いた顔は一様に同じだ。徳島の交通マナーは極めて悪い。勿論、人のことは言えない。俺の自転車の運転は非常に危険であることも認めねばならない。しかし、それにしてもドライバー諸君、頼むから、一度でいいから反対側の方向も確認してくれ。一度でも顔を見せてくれたら俺も安心するんだ。
 本当によろしく頼むよ。


梅雨入り
 去る6月10日、徳島県内は梅雨入りした。最近、それに相応しい天候が続いている。何月何日というはっきりした期日のない梅雨は、今年、気象台から“梅雨入りしたとみられる”という表現によって発表された。季節の変わり目に明確な線引きがないからこそ、緩慢な変化を愛する情緒が養われるというもの。侘寂に通じる日本人独特の感覚がある。
 だが、雲間から時折舞い降りる天使の階段は、そう呼ぶのが躊躇われるほど、強烈な日差しを投げかける。夏の日差し。あの雨雲の向こうには、夏がむせ返るような熱波を孕んで降臨するのを、今か今かと待っている。
 一昨年とは違った去年の俺、去年とは違った今年の俺。しかし、梅雨も夏も俺の変化等お構いなしに、毎年同じようにやってくる。変わって行く俺と変わらない季節。どんな俺であっても、同じように季節は巡る。一瞬しか生きられないちっぽけな俺に対する、それは悠久なる者たちからのささやかな優しさだ。


家の購入
 俺が家を買ったのは2001年の10月。それまではずっと借家で、しかも点々と引っ越しを繰り返してきた。それも自分の意志に関係なく、世話をしてくれていた親戚の計らいで、時には強引に引っ越しを余儀なくされた。住吉、末広と渡り歩いていたうちはまだ良かったが、そこから国府町に移ったのが俺が20歳の時。この時はさすがに俺も激昂した。だが親戚曰く、人が親切でやっているのに文句を言うな、だそうで、結局、俺の抗議は虚しく、同じ徳島市内ではあるが20キロ近く離れた国府町へと引っ越し、そこで10年を過ごした。
 そこも分譲地にするとかで今度は応神に引っ越し。当時勤めていた会社には近くなったが、生活的に不便になり、しかも同じ親戚に、いい加減、家を買え! と、10坪650万の中古住宅を押しつけられた。
 頭に来た俺は、自分で家を探して買うことを決意。それから5カ月(実際はもっと早かった)で今の家を見つけ、急いで買った。不動産屋に150万ほどまけてもらったが、後になって“修繕費”として50万ほど要求され、俺は何も言わず承諾した。下手な事で時間を取られたくなかったし、それだけの価値がある家だと思ったので、その50万はポーナスとして不動産屋にくれてやるつもりだった。
 こうして25年のローンを組み、家を手に入れたわけだが、家を購入した理由はまだある。俺は貧乏だが、物持ちなので、それを置く場所が欲しかったこと。特に前の国府の家ではネズミによる被害があり(応神の時にもあった。国府からネズミまで連れて来たと思った)、荷物を守ってちゃんと保管したかった。
 そして最大の理由がお袋のことだった。俺のお袋は身体障害者で歩く事が出来なかった。1999年5月に親父が糖尿病で倒れて入院し、仕事が忙しかった俺はお袋を施設に預けることしか出来なかった。決して行きたくはなかったろうが、何も言わずお袋は特別養護老人ホームへと入居、それから3年間、そこで過ごすことになる。お袋を無理矢理施設に追いやってしまった俺としては、何とか帰る場所を作ってやりたい、もう引っ越しもない、これが俺の家だ、というところを作ったやりたい、と、そう思ったわけだ。それが家の購入の一番の理由である。
 しかし、結局、この家に一度も帰宅することなく、お袋は2002年9月に死んだ。もっと何か出来なかったのか、そもそも施設に預ける必要なんてあったのか、仕事と介護を両立させられなかったのか、もっと会いに行けばよかった、と後悔しきり。
 この家も、本来の目的の半分も果たせないまま、お袋の遺骨も寺に預けてある。いずれは小さな庭の片隅に墓でも作って、お袋の遺骨を帰宅させたい、とか、そんなことを考えている。

俺の貧乏性
 下のコラムでみみっちいことを言ってしまったので、さらに貧乏ネタを少し。
 人によっては“そんなの当たり前のことじゃん”と言われるかも知れないので、俺はこうなんだよってことで。
 もっとも別に大層なことじゃない(たかが貧乏性)。例えば、出された食べ物は(飯一粒たりとも)残すことが出来ないとか数百円(時には数10円でも)を浮かすために肉体的労力は厭わないとか、そんなものだ。
 長年の経験から、中古品には手を出さない(出せない)ので、徹底しているとは言い難い。知ってる奴の中には、本はいつもブックオフで100円のもの以外は買わない、ゲームは1000円以下になるまで待つ、日に2食の食事の1回は半額のパン類で、それも数個入っているスティックパンなんかを2、3回に分けて食べる。そこまで徹底するなら、日に2箱のタバコを減らせといいたいが、人の嗜好には口出しすることじゃないな。俺がタバコ、酒をやらないのは、単に金が勿体ないからだし。
 高密度化というのも貧乏性の現れだ。つまり広いスペースを広く利用出来ないのである。PCの周辺機器やゲーム機本体等、狭い空間に押し込め、如何に簡単に使えるようにするか考える。その為、セレクタやコード等が集積し、結構サイバーちっくな感じで面白い。これは良い事だと思う反面、気を許せば何が何だか判らなくなる。整理しようとしても二度と動かせない(動かせば、その修正に2、3時間はかかる)。
 今、俺の住んでいる家は、俺の持ち家だ。1年半前に購入した木造2階建ての一軒家。でも全然大したものじゃない。築27年の中古住宅で価格は数100万円。35坪弱とちょっと広いのがいいが、あと24年のローンがある。当時の俺の経済力で買える精一杯だった。今まで借家暮らしで引っ越しも多く、3〜4万の家賃を払い続けるなら、月々それぐらいの返済で買える家をと今の家を選んだ(家を買ったのには色々と理由がある。それはまた後ほど)。
 しかし、住んでみて判ったのは、俺は広い家には住めないということだ。別に今の家が広いというわけじゃない(今まで住んでいた家に比べれば広いというだけ)。6畳1間くらいが俺の生活空間としては丁度いい。とにかく手の届く範囲に全部揃っていないとやりにくくて仕方がない。今は寝たりPCいじったりするのは2階で、PSやDVDは1階で、と分けているのでかなり不便だ。飯を喰うためにいちいち1階に降りて行くのも面倒だし、リフォームしていないので、1階には構造的に俺が住める部屋はない(というと誤解されるか)。沢山の荷物が保管出来て、キッチン、風呂、トイレがあるなら、4畳半でも充分だ。今の家が建て直しになったら、プレハブか建設工事の臨時事務所用のものでいいと考えている。
 こんな俺だから、どうあがいたって金持ちになるのは無理だ。それに例え金持ちになったところで、金を有効に使えないか、金に執着するあまり脱税なんかに手を染めるのがオチ。
 欲しいものがだいたい買えれば、金持ちかどうかなんてどうでもいいが、欲しいものを全部買っていっても、それはそれでつまらないかも。程程が良い、と何だか結論は今一つだな。



100円ショップの活用
 日本人の大半は、自分のことを中流階級の人間だと思っている。一部のブルジョワジーな人間以外は、例え年収が1000万あろうが、200万に満たなかろうが、結局、欲しいものをどれだけ買えるかの違いだけで、意識そのものはそんなに大差はない。
 自慢じゃないが、俺には金がない。親も金持ちじゃないし、俺自身にも貯金があるわけじゃない。ちょっと前までは結構無駄な金の使い方をしたこともあったが、仕事を替わって収入が月7〜8万程低下し、欲しいものはかなり選ぶようになった。銭形金太郎に出るほどじゃないし、ゲームも買うし、トイやドールにもちょっとだが手を出しているので、本当に金の無い人間からは「何を甘い事を言っているんだ」と怒られるかも知れないが、少なくとも俺は自分を中流の人間だとは思っていない。まあ、地べたを這い回っているような人間だからこそ、上を目指そうって気にもなるってものだ。
 で、よく利用するのが100円ショップ。細かな生活用品から、食料品まで何でも揃うし、ちょっと工夫すれば色々なものを作る事が出来る。
 最近、食玩ドールのケースを作った。別に難しいものでは無く、冷蔵庫用トレーの上に透明のCDケースをうつ伏せに重ねるだけ。結構見栄えがいいし、安っぽい感じも余りない。安定性を考えても5段くらいは重ねることが出来る。CDケース同士を固定するためのL字金具や両面テープを含めても、1000円以内で作ることが出来る。出来合いのものは安くて2000円くらいからするので、遥かに安くつく。こういうのもいいもんだ。
 100円ショップはチープなものはひたすらチープなので、何を買うかは思案が必要だが、利用方法さえ間違えなければ便利この上ない。何でも100円というのがネックと言えばネックなので、食品類はスーパーに行くほうが安い時もある。
 金が無いなら、頭と足で補えってのは、鉄則だな。
 もう一つ補足しておくなら、俺は、金がないイコール貧乏とは考えていない。金が無くても人間それなりに暮らしているわけだし、金持ってるやつでも、妙にセコセコしているやつもいる。精神的な裕福さとか、そんな大層なことを言いたいんじゃなくて、もっと単純なことで、結構変わるもんだなってこと。


夢を語る?
 俺の夢は小説家になることだ。今じゃインターネットのお蔭で、好き勝手に書いた物を好きに発表出来る場が出来たが、俺の目標はあくまで商業誌での文壇デビューである。小学校低学年の頃は御多分に漏れず、漫画家になりたかった。しかし、親戚連中にそれを話した時、激しく叱責された(生活が安定しているサラリーマンになれ! 7、8歳の子供に言う言葉じゃない)ため、俺はショックを受け、ならばと目標を小説家に変えた(もっとも、実際には何ら努力はしてこなかった。今思えば少しでも何かしておけばと後悔している)。
 02年の末、自主製作映画を作っている高校生と知り合った。映画と言っても監督、脚本、演出、出演を一人でする、文化祭用の小作品だ。手伝っているのは友人がせいぜい2人。俺もカメラマンとして協力した。
 その映画がどうなったかは知る由もないが、その高校生が俺に語ったことは妙に引っかかった。彼は友人とバンドもやっており、自主製作のCDも出す予定だという。フジレコードでも徳島インディーズのCDは沢山あるので、それは別に珍しいことじゃない。
 ただ、そいつが語る夢というのが、本当の夢物語だというところが一番の問題だ。
 彼はまず、ミュージシャンとして名を上げた後、俳優、監督、漫画家、小説家、その他諸々になるというのである。どれかひとつとか言うのではなく、これら全部になるらしい。まあ、なるだけならなれるか?
 夢を持つのはいいと思うし、その内容も俺がとやかく言うことじゃないのは解っているが、やっぱり聞いていると、首を捻ってしまう。まるで現実味のない絵空事だ。実際、CDを出せば儲かって名も売れると信じている。数万あればCDなんて作れる、というが、何故そんな確信が持てるのだろう。
 じゃあ、彼はどんな努力をしているのか? 実は何もしていない。劇場はおろか、TVでやる映画も見ない。ドラマも見ない。マンガはともかく、小説も読まない。音楽も聞かない。永久に手元に残る媒体で欲しい(DVD、CD)ので、それら買うまで手をつけないのだそうだ。それでよく映画や音楽を、何て思うが、そいつに言わせれば、他人のものなんか気にしなくても、自分で凄いものを作れるのだそうだ。それが本当なら真の天才だが、脚本の手直しをのめり込んで笑いながらしている姿を見ていると、自分に酔っているだけという気がする。
 俺には天性の文才は無い。少なくとも太宰治のように口述筆記で『フォスフォレッスセンス』をやるような才能なんて全くない。だからこそ、資料にあたり、周囲に目を向け、メディアや好き嫌いに関係なく広く浅く、時にはかなり深く興味を持とうとしているのである。大体、文壇デビューよりも作家を続けていくことこそが一番難しいことも理解している。
 何故、彼がそんな考えを持っているのかちょっと判ったような気がした。彼の家は事業をやっていて金持ちで、映画撮影用のデジタルビデオカメラも親に買って貰ったもの。高校卒業後は実家に就職、安楽椅子で“高校生の時より時間が出来るのが嬉しい”のだそうだ。
 彼の事を甘い! と切り捨てるのは簡単だ。だが、実家が金持ちだということがプラスに働くこともあるし、独自のやり方を貫くことが結果的に才能を引き出すことも多い。
 彼が、ただの甘ちゃんとして終わるか、それとも天才という冠をつけて世に出てくるか、それを知る為には気長に待ってみるしかなさそうだ。


こういうのもジェネレーション・ギャップってヤツか?
 最近、7歳になったばかりという女の子と知り合った。犬の散歩をしていて何度がすれ違っていた子で、その時は互いの犬がじゃれあいだしたので、ちょっと話をしてみたのである。
 俺は結婚していないから当然子供もいないし、親類縁者にその年代の子はない。他に近所や会社でも付き合いがあるような年齢じゃないから、俺にとっては全く未知の世代ということだ。
 話と言ったって、学校のことを聞いたり、身近な話題を少し話しただけだが、はっきり言って異常に苦痛だった。いや、苦痛とは少し違うかも知れない。何か、全然噛み合わない。というか、合わせられない。
 向こうは取り留めなく学校で何があった、誰それとこんな遊びをした、授業の何が好き、嫌い等、色々と話してくれるが、俺は相槌を打つだけ。既に小学校を卒業して20年近く経つ俺には、もう小学校時代を懐かしむことすらままならないほど、当時の記憶は掠れ掛けている。
 色々と話題を出してくれるが、その内容に何か意味があるのかと、常に深読みをしてしまい、改めて“素直さ”なんてものが俺の中からすっかり抜け落ちてしまったんだと落胆しきりだ。
 しかも、下ネタ、セックスネタ、暴力ネタが絶対禁句! これは非常に辛い。ただでさえ、俺の映画ネタやアニメ、小説ネタはマニアック(悪い意味でオタク)過ぎるというのに。自分でも口元が引きつるのが判った。差し障りの無い内容の会話を考えているうちに何も口に出せず、彼女の話に相槌を打つだけの自分が少し悲しい。
 結婚して子供が出来ればちょっとは変わるんだろうか。でも結婚の予定なんてないので、この状態は解消される気配はない。まあ、その歳の女の子と話をすること自体、そうそうあることじゃないだろうが。


萌ゆる5月
 4月が芽吹きの季節だとすると、5月はその命が萌え始める季節だと言える。時々、冬の名残の尾が頬を打つ時もあるが、日は確実に長くなり、星座はその位置を大きく変えている。水を張り始めた田では、それが終わったところから順にカエルが合唱を始めている。人や車が通る度に静まるそれは、人間の営みに遠慮しているようでもあるし、通り過ぎると高らかに謳い始める声は、そこが自分達の世界であることを主張しているようにも感じられる。
 微かに鼻孔をくすぐるのは、ハウス栽培の苺だ。その香りは決して強烈ではなく、あえていうならチョコレートでくるんだような甘さ、それも極上では無いが、出しゃばらないだけの淑やかさを持った淡い香りだ。
 6月、7月、初夏へ向けて命は益々輝きを見せ始める。見つけるものは人それぞれ。俺はそこで何か新しいものを見出すだろうか。


ヌーブラって?
 執筆の為に女性のインナーの資料を集めたことがある(我ながら何をしているんだと思うが、例えば、女性のことを書くには自分が女性でないぶん、あらゆる資料を収集して補完しなければならない。このあたりは俺の小説論に関わるのでまた別のコラムを設ける)。すぐに廃れると思っていたルーズソックスも健康にいいことが科学的に実証されたというニュースもあったし、今や完全に定着してしまった。ルーズソックスと黒のハイソックスが女の子の定番となった。三つ折りの白いソックスはもう絶滅、中学校で流行っていたくるぶしを出すやたら短いソックスも無くなってしまったのだろうか?
 そして最近話題になったのが、ヌーブラ。どうみても怪しいシリコンのパッドだが、12,000円もするこいつが、夏まで品切れの大人気らしい。裏側に粘着性があり、乳房に直接張り付ける。胸を矯正することは出来ないが、ちゃんと寄せて谷間も作れるらしい。俺には全く理解の範疇に無いし、多分これからも理解する機会はないだろうから、機能面でしか想像することが出来ないが、本当になんでこんなものが受けるのだろう。
 アダルトショップに行けば、似たような物が売っている(もちろん、使用目的は全然別だが)。目先を変えればヒット商品が誕生するという見本だが、あと1年してまだ残っているかは疑問だ。スプレー式のストッキングも含めて、ルーズソックスみたいに市民権を得ることが出来るかどうかは、もう少し待ってみないと判らない。


スズメのススメ
 会社を退社して時間に追われることが無くなった。と同時に気付いたのが、周囲の雀の囀りである。そんな鳥の存在すら考えたこともなかった俺は、小さな庭にやってくる雀達を何とも愛しく思った。尾を振り、羽をばたつかせる仕種。雨の後、代る代る水溜まりに浸る姿。心を和ませる雀同士の会話。季節によって姿が変わることも知ったし、越冬のために丸々と太った中に痩せた雀の姿を見つけると、つい心が傷んでしまう。俺は目を向ければ身近に沢山の世界があることを実感出来た。しばらくの間、雀は俺にとって、一番の癒しとなるだろう。


幻想的夜景
 4月の某日、補勤のためにAM3:30に出勤する。直前までかなり雨が降っていて、地面はまだ水溜まりが多くなった。今住んでいる国府町から55号線バイパスを通る道は周囲に民家が少なく、街灯とところどころにある自販機だけが、煌々と光を放っていた。外に出た俺はまとわりつくような空気の重さを不思議に思ったが、それは直ぐに判った。夜霧が立ち込めていたのである。街灯の周囲で白い靄を目にした時、その光景に俺は身震いした。車など殆ど走らない静寂の中、淡い白で包み込まれた光景はまさに幻想的だった。顔に当たる風は多分に湿気を含んで呼吸をきつくさせる。濡れたアスファルトの地面の匂いは、道沿いの名も知らない雑草が放つ、本格的な春に向けて成長している最中の生臭さを伴って、強烈に鼻孔をくすぐった。約1時間、俺はずっとそれを感じながらいた。まったく異世界に紛れ込んだような雰囲気だった。田舎の徳島だからこそかも知れない。いつかまたこの情景に出会えることを願っている。


変わり行く場所
 2月の末ぐらいだったか、住吉2丁目を訪れた。小説のための調査だったが、丁度、小学校の下校時間だった。俺は下校中の生徒の姿を見て驚いた。私服にランドセルで下校していたのである。俺の母校である徳島市城東小学校といえば、あの特徴的なベージュのブラウスに焦げ茶の上着と半ズボン、スカートという制服。まさかと思って散歩中のオバサンに尋ねてみると、もう10年も前に私服へと移行したとのこと。自分ではダサいと思っていたあの制服も、もう見ることは出来ないと思うと何か切なくなった。俺が卒業して何年目かに体育館と校舎との間に新しい建物が建ってちょっと外観が変わり、それだけでも変な気持ちがしたが、やはり卒業して20年近くも経つと色々と変化は起こるのだろう。というより、そのままというのは有り得ないということか。実際、小学校の制服の廃止は時流のようで、聞いたところによると、特に女の子等は巻スカート(っていうのか?)や色とりどりのシャツやらで、やたらと華美になっているらしい。機会があれば一度、始業式や終業式を見てみたいものだ。
 徳島市城東中学校の前の道路(何号線かはちょっと判らない)も道幅を広げた為、プール横の李(だったと思う)の林も潰してしまい、広かった正門前は高い本当の門になって防犯カメラが仕掛けられている。昔、部活の先輩と帰り道に立ち寄った場所も、消えてしまった。
 そういえば前川町の前も、田宮街道も著しい変わりようだ。この後に及んで徳島はまだ変わり続けているのである。まあ、その為に恩恵を被る人間が多くいるのだから、俺個人の感傷等全く関係なく、移り変わって行くのは当然と言えば当然か。
 そういえば、オバサンに話を聞く前に、小学校6年生くらいの女の子とも話をしたが、制服のことを聞くと、「母の時にはそうだったと聞いています」という返事が。この一言で俺は、一気にオジサンになった気がした。


俺の人生のテーマ?
 出版印刷会社に努めていた時は、月日が経つのが非常に早かった。俺は周囲のことについては何も関心を寄せなかったし、仕事をしているだけで、他に何もしないでも生きて行けるという甘えからか、何かしなければならないという焦燥感は常に持っていたものの、だからと言ってその何かを実行に移そうという覚悟も無かった。
 俺が変わるきっかけというものは特に無かったが、30歳を過ぎてやはりこのままではいけないと思うようになった。
 俺を変えるためには、まず根本を変えなければ。そんな思いから会社を退社した(もちろんそれだけでなく退社するにはそれ相応の理由があるのだが)。
 それが甘い考えだと叱責されることも多くあるが、俺は俺が思い描く人生に向けた若干の軌道修正が出来たと思っている。
 現在、生活の為に某大会社の工場に努めているが、もう仕事を理由に足踏みは出来ない。
 俺としては、ひたすら前に進み続けて、その挙げ句血反吐吐きながら前のめりに倒れるのが理想だ。楽な死に方をしても意味がない。何一つ夢が叶わなくても、どんな悲惨な状況で終わろうとも、少なくとも俺はここまではやった、俺にしては上出来だろ? そう言って死んで行けたら、と思っている。



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