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Kaiの戯れ言
ちょっとした宝物?
隔月刊コロコロコミックNO.9(1978年11月14日号)定価320円
今の俺が漫画好きになった発端がこの1冊の漫画雑誌だ。小学校低学年の頃、ある時突然親父が買ってきたのがこれだった。まともな漫画雑誌を手にしたのは始めてだったので、ひたすら読み耽っていた。
以降、コロコロコミックはずっと俺の愛読書で、小学○年生等よくも買っていたが、コロコロは小学校を卒業するまで毎号買っていたと思う。小学校高学年になると、本格的にプラモを作り始めたため(ガンプラのこと。それ以前にはヤマトのプラモを買ってよく作っていた。正直、『本格的』がどの時期からよく判らない)、情報が多かった『コミックボンボン』に移行する事になる。コミックボンボンは後追い雑誌のような感じがして、一足おくれで他と同じくファミコン雑誌のようになってしまったが(当時ファミコンが大人気となり、どの雑誌も特集は愚かメインのひとつとなっていた)、その点ではコロコロコミックは常に先駆者の印象があった。
隔月刊というのが凄い。この頃のコロコロは藤子不二雄の為の雑誌で、巻頭カラーでドラえもんがしかも102頁、さらにオバQ、パーマン、藤子不二雄関係の話が4本とやりたい放題だ。ウルトラマンの漫画もあるし、当時からの人気球団読売巨人を題材にした野球漫画もある。なんとゲームセンターあらしの単行本に収録されなかった幻の第1話もこの号に掲載されている(正確には読み切り)。以下、ラインナップ。
ドラえもんが10話、別作家によるドラえもん百科、パーマンが2話、オバQが2話。さらに別作家によるフジコフジオ日記(新連載)に藤子不二雄をモデルにしたハムサラダくん(しかも今回は手塚治虫のアシスタントをする話!)、さらに別作家だが藤子不二雄のまんが入門。これだけで全528ページの半分近くを占める。
キド・タモツの『ゴリポン君』。痛快バイオレンスギャグ!!とか書いてるけど、まあドタバタナンセンスギャグ物。主人公の服装が継ぎが当たってたりするのを見ると、妙に懐かしい。
方倉 陽二の『アカンベー』。奇想天外あべこべギャグ、だって。この作家は他にドラえもん百科とまんが入門も書いている。隔月刊とはいえ、力技の多産さだ。
ジョージ秋山の『ほらふきドンビンジャン』。黒人の子供が主人公? 今じゃ絶対に表に出せないよな。
てんとう虫コミックスの紹介があるのでついでに。リトル巨人くん、ザ・ウルトラマン(共に内山まもる)、バケルくん(藤子不二雄)、さっちん110番(山田路子)、名たんていカゲマン(山根あおおに)、うわさの姫子(藤原栄子)。
すがやみつる『ゲームセンターあらし』。フィーバーまんが!!・・・他にコピー無かったのか? ちなみにこの時のあらしの出っ歯は先端は二つに別れていない(線は入っている)。内容はブロックくずし(しかもセロファンの奴だ)、以降の何でも有りハチャメチャプレイではなく、細かくゲーム内容を紹介し、攻略的要素も強い。
内山まもる『ザ・ウルトラマン』。カラーページ有り。冒頭はモロにスターウォーズを意識している。円盤とかいいながら球体なのはどうかと・・・。
はしもとみつお『がんばれ!ドンベ』。これも今では絶対に出来ない作品。今回のは特にそうだ。主人公達と転校生との友情の話・・・でも、その転校生が汚い服を着て(明らかに貧乏であることを表現している)、いつも鼻を垂らしてヘラヘラしている、やや知的障害のある(ありそうな)子供。ラスト付近のコマで父親が土木関係従事者と判る。今じゃ差別的表現と叩かれること請け合いだ。でも、昔は結構いたんだよな、こういう子って身近に。今の様な完全隔離の世の中じゃなかったから。
宮のぶなお『ジャーマネくん』。スタタンギャグってようするにスター誕生をパロディにしようってやつ? まあ、タレントグループ『トライアングル』とそれを売り出そうとするマネージャーのナンセンス・ギャグもの、と言えばいいのか。キャンディーズやピンクレディーが出てくるあたりでターゲットが判る。
はまだよしみの『ブルデカ』。警察犬を目指すブルドッグのブルデカが巻き起こすドタバタギャグって言えばいいのか?
六田登『どんまい』。野球まんが。後に『ダッシュ勝平』『F』で有名になる六田登だが、恐らくデビュー間もない頃の作品だと思われる。送りバントが得意な主人公トメ吉の物語。母親が家出したり、好意を寄せる女の子と番長格の同級生の間の橋渡しをさせられたりと、妙に生々しいリアリティのある作品。六田登は最近ではプロジェクトXのまんがを書いていたが、こんなストーリー物も読みたいものだ。
再び内山まもるの『リトル巨人くん』。ジャイアンツのちびっ子エース、巨人くんの熱血野球まんが、なの? 王、柴田、土井、山倉捕手、新浦、杉下コーチ、と巨人側の登場人物の名前を挙げていってもプロ野球好きなら懐かしいのでは? 監督はもちろん長島茂雄。メチャクチャカッコ良く描かれている。
飯森広一『日本ボスザル伝 石松物語』あまりデフォルメされていない、本格的な動物もの。ただし狂言回しは人間だ。
最後は川崎のぼるの『いなかっぺ大将』。もう言うことなし。
『マンガくん』の広告も入っていたが、180円? この当時の雑誌は値段も凄い。
こうして掲載作品を列挙してみても当時が偲ばれる作品ばかり。コロコロは他に大好きな『金メダル○○(単行本では金メダルマンで統一)』や受験漫画から唐突にボクシング漫画に“転向”した『轟け!一番』等もあった。
こんなものでも後生大事に持っていると、時々懐かしさに浸れて嬉しい。ずっと大切にしたいものだ。
生さの足りない『無人惑星サヴァイブ』
NHK教育テレビのアニメ戦略の目玉のひとつ。キャラクター原案に江口寿史を迎え、声優も狙ったのかどうか判らない、微妙にアイドルにおんぶに抱っこしていない配役である。
内容は現代版15少年漂流記か? 『ムリョウ』のマッド・ハウスらしい、やや淡い絵で、内容の柔らかさとよく合っている。
が、どうも物足りない。やっぱり、設定に比べて、キャラ達があまり悩まないところがそう感じさせるのだろうか。
少し展開も簡単だ。手で木を擦って火なんてあんなに直ぐにつくわけないだろうに。ちゃんとしたサバイバル・キットの一つも積んでいなのか? 幾ら修学旅行の中学生を乗せてたって、ライターぐらいはあるだろうに。レーザー銃があるのなら、エネルギー・パックの換えはないのか?
まあ、そんなことはどうでもいい。かつての『フローネ』と決定的に違う、現代風のお手軽な内容には、それほど多くは言うまい。これを俺の感覚で生さ爆発で書いたら、絶対に子供向けにはならないだろうからな。
中学生くらいの年齢なら、その年代らしい性の問題があるはずだ。ここでいう性というのは、もちろん生理や精通も含めてであるが、あくまで男女の性質の違いのことである。また感覚の違いによる問題も発生するだろう。梅図かずおの『漂流教室(映画版)』では(あれは確か6年生ぐらいの小学生が主人公だったか)、女の子が汚れた下着を洗うシーンとかもある(あまつさえ、それを履くカットも)。エロアニメ以外で生理が描かれたことを見た事はないが(因みにアニメで最初にベッド・シーンが描かれたのは、『銀河疾風ブライガー』である。またサンライズの『機甲戦記ドラグナー』では水着姿のヒロインを見て“勃起する”主人公を描いている)、そういった特有の年代の生っぽさが描かれていないと、妙に軽く感じられるのは、俺の感性の問題だろうか。
NHKアニメの特徴として、どんなに不自然でも『パンチラすら描かれない』というものがある。よほど自主レーティングが厳しいのか、そのアングルじゃ、丸見えだろうに、というカットですら、カメラのアングル等で上手く誤魔化している(そのシーンの妄想を膨らませれば、結構楽しいかも知れない)。
あるとは思えないが、例えば女の子の裸を覗き見るようなシーンがあって、その時の男の子の反応が『ドキドキした』だけなら(おそらくその回の話はそれがメインとなるであろうが)、やはりもう少しNHKには考えてもらいたいと思うところ。
俺達はアニメで得られた情報は数多い。性の問題にしても、隠すだけ隠しておいて、誰も何も教えないなら、その情報源はより興味本位を満たすだけのような媒体から吸収するほかにはない。
深夜だからって“ダーマ&グレッグ”なんて放映している場合じゃないと思うんだけど。
凝った作りのアニメ、巷説百物語
『京極夏彦 巷説百物語』、なんてものが放映されること自体、何だか変な感じだった。季節は外してるし。流行っているのだろうか? 京極夏彦は怪談物の作家ぐらいの印象しかない。俺の読書傾向は相当偏っているが、特に邦人作家に関しては、余程話題になるか、或いはクラシック(山本周五郎、太宰治、川端康成、宮沢賢治、夏目漱石等)以外は殆ど読まない。ジュニア小説は言うに及ばず、名前や書いているジャンルは知っているが、中身は全然、というものが数多い。
今回はアニメだし、別に原作読む気もないし、ひょっとすると俺の知らないところでブームかも知れないと、見始めた。
と、言っても、わざわざチャンネルを合わせたわけではなく、アニメシャワーという土曜の深夜に数本のアニメを放映している時間枠に新作としてこれが放映され始めたのである。
内容は1話完結なのは想像通りであるが、見て驚いたのは、単純な1話完結ではなく、主人公達が物語に大きく関わらない、言わば狂言回しとして存在しているということだ。こういった作りは、昭和46年1月3日から放映された『アンデルセン物語』が最初だろうと思われるが、なかなか思い切った構成である。
映像も凝っている。障子、襖、畳等、日本家屋特有の直線的な作りをわざといびつに歪ませ、トーンを落とす事で、おどろおどろしさを演出している。これはかなり成功しているのではないだろうか。深夜枠だけあって、性描写や斬首などの描写もかなりきわどい。タイトルが百物語の割りには、画面中には妖怪のような人物が当たり前のように登場する。この作品のテーマは妖怪変化の類を描くものではなく、むしろ、人間の醜さ、浅ましさを描くことのようだ。
俺が一番感心したのは声優陣だ。豪華な声優陣がメイン、サブともに揃っている。主人公の百介(クレジットでは主人公じゃないが)に関俊彦、又市に中尾隆聖、長耳に若本規夫、他に野沢雅子、大竹宏がレギュラーとして出演、京極亭には京極夏彦本人が声を当てている。おぎん役の小林沙苗は最近特に名前が出始めた声優だ。ごく普通の女の子の声から、『ヤミと帽子と本の旅人』のキャピ系ロリ、そして今回は艶っぽい大人の女をこなしている。『ヤミと帽子~』ではエンディングも歌っており、まさにブレイク寸前の声優である。
ゲストの声優も豪華だ。今ではほとんど声を聞かない安原義人を始め、古谷徹、島本須美等が出演している。内容が内容だけに、ベテランの演技はまさにハマリモノだ。特に島本須美の色っぽい“喘ぎ声”を聞けただけでも、俺としてはOKなのである。
何故かはまってしまった十二国記だが・・・。
この春からNHK教育TVの7時~8時にアニメ番組を放映するようになり、その内の1本が十二国記だ。このアニメ戦略は新作は少なく、モンタナは以前、NHKでやっていたモンタナ・ジョーンズのタイトル変えただけだし、カスミンは新作第3期だが、続編物で安定した視聴率が得られる上、もう終了して再放送に入っている。学園戦記ムリョウは十二国記と同じくBSでやっていたものが放映されているだけだ。ムリョウの後に始まった無人惑星サヴァイブは新作らしいが、アニメ戦略の前後にある海外ドラマ(ヤングスーパーマンは1本を前後編に分けて放映している)も含めて、賑やかなこの時間帯は実はNHKにとって視聴率やコスト的にやや姑息ささえ感じさせるラインナップとなっている。
初め十二国記に知識も興味もなく、ジュニア小説原作のアニメ化ぐらいの認識でいた。だから、TVで見始めた時も、ずんぶん遅れてからだ。原作にもTV版にもファンは多いことだろう。総集編が多く作られているのが、ちょっと印象的だった。
で、感想はというと、まあ、面白いと思うが、一部でグロテスクな表現がある一方、妙に感傷的であったりして、中国風の用語や思想が綿密な割りには、どうも重さを感じられない。
原作がジュニア小説だから、ある意味仕方がないこともあるのだろう。で、俺は原作を読んでみようと一応1巻を買って読み、そしてものの見事にはまって速攻で全巻揃えて10日かからずに全て読んでしまった。
もっとも面白いか?と聞かれれば、答えは首を傾げてしまう。もちろん面白いのだろうが・・・。1巻が2~3時間程度で読めてしまう平易さは、明らかにジュニア小説だが(因みに俺が買ったのは講談社文庫版で、装丁は普通の小説と同じ、イラストも入らない)、流石に設定は非常に細やかだ。独特の漢字名称と用語だらけの文は、好きな人間にとっては充分な雰囲気を持っている。もちろん欠点もあって、例えば表現方法が非常にワンパターンであったり、話がある意味理想的に進み過ぎるような感じを受ける。他に、普通の人間感情を突き放したような表現を使ってたり(これは著者の思想かも知れないが、明らかにわざとやっているのは判る。一方的にならないよう、それに充分な説明を行っているところが、この作者(小野不由美)の腕である)、それでいて感傷的、というドライ感とウェット感が変なバランスで混在しているが、これを狙ってやっているのだとしたら大したものだと思う。
小説とTVの違いは幾つかあるが、TV版は出版されている小説(外伝の“魔性の子”も含めて)がうまく再構築されている。話の構成の順は既刊順とは違うが、それが特に失敗している様子は見られない。原作が完結していないので、TVも途中で終了するが、章ごとに別れているので、それは全く問題はない。
ただ、面白いかどうかについてはやはり、小説にしろ、TVにしろ、もろ手を挙げてというわけにはいかない。この中途半端さは、俺の感性の違いなのだろうか?
誤解していたワンピース
そういった漫画が存在していたのは知っていたが、アニメ化に当たって全く興味が無かった。実際、放映の時間帯の問題もあって、全く見ることは無かった。最初に絵を見たのは映画のポスターか何かだったと思う。随分と極端な絵だと思った。特にルフィ、ナミの顔は、非常に驚いた時の記号としての表情で、“こいつら、いつもこんな表情しているのか?”等と思ったものだ。
放映時間の変更で日曜日のゴールデンタイムへとやって来たワンピースは、当然、それなりに面白いのだろうと思い、見始めた。丁度、グランドライン編に入る直前だったか?
やはり最初は、センスやデッサンのへったくれもないキャラ(腰が掴めるほどくびれていたりとか)や世界設定が如何にもお子さま向けな気がした。
しかし、何話か見るとちょっと違うことに気付いた。特にチョッパーが登場するあたりからは、ストーリー運びが絶妙で、くだらない遊びは多いものの、実に見応えのあるアニメであることが判った。
何が俺にそう思わせているのだろう、と考えて気がついたことがある。それは作品(おそらく原作者)から感じる高いインテリジェンスと隠れたセンスの良さだ。よく見るとそこかしこに、パロディではなく、あくまで作者の創作物としてのセンスと頭の良さが見え隠れし、それを理解し始めると俄然面白くなってくる。感動的な本(シナリオ)作りとも相まって、まれに見る傑作であることが判った。そして絵のセンスの悪さは、ひょっとすると判っていて敢えてやっている(ここまで作者のインテリジェンスが高いと、逆に馬鹿になりきるのは相当勇気がいり、難しい)のではと思うようになった。他にも判ってやっている、と思わせるところは沢山ある。
この手の作品は失敗すると目も当てられないものになる可能性があるだけに、こういった作者自身が“作品全体をよく把握して隅々まで理解し、余裕を持って創作している”感じがするのは稀で、それがそのままこのワンピースの面白さになっていると思う。
最近になってもう一つ、コミックボンボン連載の“コロッケ!”がそういった作品であることが判った。ナージャのところでも書いたが、こういった作品が存在すること自体が、漫画文化の奥深いところだ。
最近のお気に入りはナージャ
ママレード・ボーイ、花より男子の少女向けアニメから、夢のクレヨン王国でキッズアニメに転換して以来、東映のこの時間帯はおじゃ魔女ドレミ・シリーズで頂点を見た。
そのドレミの後を受けて始まった“明日のナージャ”はこれまでのどの作品ともテイストが違う。
クレヨン王国で導入されたコンピュータ処理は既に安定しているし、
設定や考証もしっかりしている。
ところどころ見受けられるドレミテイストと、ナージャ周辺で展開される非常にシリアスなストーリーは、キッズアニメと一般向けとの丁度境界線で、少女の情操教育には打って付けのように思える。他の何よりもこういったものののほうが、日本製アニメのレベルの高さを実感出来る。
ドレミは現代を舞台にして少女の内面をしっかりと押えながら、その年代が抱える悩みをリアルに描き、それを解決するのは(おじゃ魔女達が介入したとしても)自分自身であるということを教えている。ギャグやバンクによる変身シーン等、必要なものはちゃんと入っているし、ナージャにしてもそうだが、歌、踊りも入り、他のアニメより遥かに手間がかかる。しっかりした構成力と企画段階からの綿密な打ち合わせがなければここまでにはならないだろう。
再放送のドレミを初めて何話か見て、その内容に衝撃を受けた俺は、遅ればせながら、何話目からかからようやくナージャを見始めた。そこから感じるのはドレミからさらに輪をかけたスタッフ達の情熱だ。確かな力量を持ったスタッフ達が安定した高いレベルの仕事をしているのがありありと判る。比べるのも何だが、最近のガンダムSEED(イラク戦争とかの影響で仕方ないとはいえ)の空振りっぷりとは全くの別次元にある。
キッズアニメのように見せながら、実写ドラマ等足元にも及ばない大人なストーリー。ナージャという作品からそこはかとなく漂う生臭さ、それは処女と初潮の血の匂いを含んだ、非常にリアルな臭気だ。もはや実写ドラマはアニメに勝つことは出来ないのだ、と思ってしまうのは、単にナージャがスバ抜けているだけなのか、俺が見た実写ドラマがスカばかりだったのか。
トレカはさすがに手は出ないものの、DVDが出たら買おうか、と考えている。
マトリックス・リローデッド、公開!
2003年6月7日、マトリックスの続編、マトリックス・リローデッドが公開された。前作マトリックスが視覚的に非常に斬新な方法を見せてくれたので、否が応にも期待が高まる。現時点ではまだ未見だが、CMを見る限りでは前作の映像表現をさらにスケールアップしたという感じだ。あとはどれだけ新たな映像を盛り込んでいるかを期待したい。一世を風靡したマシンガン撮影も、今やCMでも当たり前に使われている。映像の原点はもちろん日本のアニメにあるが、それを実写であれだけ見せてくれたマトリックスだから、今回もやってくれるだろうと思っている。
今回のストーリーは難解らしいが、前作に関して言えば、決して珍しいものではなかった。仮想現実、自分の住む世界が果たして現実か? というネタはSFの世界では昔から多く語られている。アニメでもそうだ。俺が真っ先に思い出したのはメガゾーン23。1980年後半だと思っていた世界が、実はバハムートというコンピュータが巨大な宇宙船の中に作り出した偽物の世界だった。実際はそれから500年は経過しており、別の敵対する宇宙船が近付きつつある、という設定で、主人公の青年を軸にした(当時)の青春モノの中にそういったSFガジェットが詰め込まれた、もう20年も前のOVA黎明期の大傑作だ。
メガゾーン23は(特にパートⅡは)海外でも高く評価されているので、ウォシャウスキー兄弟がこれを全く知らないということはないだろう。
特に現実と虚構の区別が付かなくなる、というのは、古くは荘周の著書『荘子』の中の“自分は蝶の夢を見ていたのか、それとも蝶が今自分の夢を見ているのか”というやつだが、現代SFでそれをもっとも現わしているのが、フィリップ・K・ディックだ。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(映画『ブレードランナー』原作)』や、『流れよわが涙、と警官は言った』、『高い城の男』、短編の『記憶売ります!(映画『トータルリコール』原作)』等、その思想を受け継いだ傑作が数多い。現実が崩壊し、悪夢に転ずる感覚は『ディック感覚』と呼ばれている。マトリックスもそうだとは言わないが、日常が非日常へとシフトする感覚はSFの醍醐味だ。
11月には完結編であるレボリューションも控えているマトリックス。いったいどんな凄い映像を見せてくれるか、そのストーリーと共に俺もかなり期待している。
あさりよしとお最新刊、るくるく
初めて宇宙家族カールビンソンに出会ったのは高校生のころだった。アニメージュコミックススペシャルの“元祖”は今でも大切に持っている。爆笑、では無いが、くすりと笑えるギャグで俺のお気に入りだった。
もっともあさりよしとおという作家は、もっとヒネた毒のあるネタを得意としている。少年キャプテン版カールビンソンでは、ゲームネタとしてファルコムやエニックスのゲームをやり玉にあげている。原住生物には古今東西の日本の映画関係者(監督)の名前が与えられているし、ジョン・カーペンター、ジョン・ランディスもそのままだ。パロディが多い中でも話全体が映画のパロディとなっている悪夢、ゴッドねえちゃんVSデストロイヤー、ジョンくんのエスケープ・フロム…、はすべて傑作だ。
少年キャプテンの休刊で、アフタヌーンに場を移したカールビンソンだが、第1巻だけで続きはどうなったのだろう。
そんなアフタヌーンで連載されている最新作がるくるくだ。父親と二人暮らしの鈴木六文の元に、地獄から来た姫、瑠玖羽とそのお供が現れ一緒に暮らし始めるという内容。どちらかと言えばありがちな今風(優しいだけが取り柄の優柔不断な主人公の元に彼を慕う少女達が集う、今のオタク受けしそうな)の設定だ。
それがあさりよしとおの手にかかると全然違う。妙に貧乏臭い設定の数々、時としてグロい、毒々しさを伴ったストーリー。絶対に大作にはならないが、実に印象深い。もちろんヒネったギャグも健在で、第2巻の“やはうえさま”はこの巻最高の傑作場面だ。
デザイナーとしてエヴァの使徒もデザインしているが、マンガのほうはどちらかというと描き込みよりもニュアンスで見せるほうが多い。特に科学、70年代に造型が深く、こりゃ一般受けは無理だろう、というくらい徹底している。
ただ、小手先の技術は極めて高いが、もっと大きなところで色々と?なところはある。時として演出がおかしかったり、描き方が手抜きに見える(あるいは描けないんじゃないかと思わせる)コマがあったり、内容が前後で食い違っていたり…。
もっとも、そんなこと殆ど気にもならないほど、あさりよしとおの書くマンガははまれば最高に面白くなる。決してメジャーにならない(なれない)が、俺のようなファンにとっては、こういった作品が存在すること自体が嬉しいのだ。
今更ながら、食玩
俺は基本的に、手元に何も残らないことに金は使いたくない。だからタバコ、酒等の嗜好品はやらないし、競馬のようなギャンブルもしない。宝くじも一等賞金が一億を超えるようになってから、当選確率ががた落ちになり、きっぱりと止めてしまった(それまでは結構トントンで当たっていた)。
小学校の頃はビッグワン・ガムが好きだったが食玩はそれ以来。何年か前の、チョコエッグに始まる食玩ブームも俺にはあまり興味のないものだった。確かに出来の良いのは分かっていたが、お目当ての物を引き当てるまで買い続けるのが非常に無駄に思えたからだ。そんな金も無かったし(実は一時期、トレカ(トレーディングカード)にはまったことがある。同級生に始まり、エヴァ、FFⅦ、センチメンタル・グラフィティ等。平気で数万という金を注ぎ込んだが、同級生がどうしてもコンプリートせずに止めてしまった。今思えば、ヘタにコンプリートしてしまうともっとのめり込んでいただろう。結果的にはこれで良かったと思う)。
ファイナルファンタジーのフィギュアが出るというので、ようやく俺も腰を上げることにした。その前準備として、今、スーパーやコンビニに何があるか確認しに行き、取り敢えず目についた東京ミュウミュウとセーラームーンのフィギュアを買った。理由は簡単、中に何が入っているか判るようになっていたからだ。もちろんコンプリートは直ぐ。
中を見て最近の造型力の凄さを改めて思い知った。200円とか300円とかで買えるにしては、その10倍20倍以上の価値がある。昔のガレキ(ガレージキット)を知らない若い奴らには、これが当たり前なんだろうな。
FFヒロインズも買って、最近出たエフエフスイングもあまりダブらずにコンプリート。バンダイ発売のものは、店頭に並んだばかり(あるいはカートンを開けたばかり)の時に、縦一列を買えばダブりは少ないようだ。
ナージャドールコレクションも出来が良かった。ただ処々の問題もあるのだろうが、チュチュドレスはともかく、形見のドレスやエプロンドレスの下が、生脚に今のぱんつというのは時代設定的にどうなんだろうか。セーラームーンでもぱんつモロ見せだったので、ファンにはこれでOKってことか? おっと、このドールって対象年齢3才以上だったか。
サクラ大戦は350円とちょっと高いし、ダブると嫌なのでパス。あまり思い入れも無いし。それよりも6月下旬から発売予定のスタートレックが次の目標だな。
時流か? 短縮してゆく話数
いつからだろうか、TVアニメの話数がどんどん少なくなっている。昔は1年と言えば4クール(1クール13話、4クールだと52話)分だった。もちろん3クール、2クールもあったが、その頃は短いと思ったものだ。だが、今、3クールやって1年。これは下にも書いたが、特番が増えた影響が大きい。
そして最近の時流は1クール13話で作ることのようだ。多分、短いサイクルで色々な作品を発表出来るし、忙しい現在では長丁場の作品を継続して見えないのだろう。
俺はこれをTVアニメのOVA化と呼んでいる。因みにOVA作品そのものは、一時期に比べてめっきり少なくなった。多分、色々と密接に関係しているのだろうと思う。
ただ、思うのは13話の作品が、妙に中途半端に終わるものが多いということだ。ザ・ビッグオー(最近になって、ようやく完結編であるセカンド・シーズンが作られた)しかり、ヘルシング(原作コミックあり)しかり。どちらかというと、原作本やオリジナル・ストーリーの一部分だけをアニメ化しました、といった感じがする。
実写ドラマもかなり前から1クール前後で作られるものが殆どとなった。でも、ドラマはともかくなあ。
細かくみていくと、これには傾向がある。1クールで作られるものは、東京や大阪の都市圏放映のもの、深夜放送のものが多く、逆に1年持つのは全国放送しているもの、特にスポンサーにゲーム会社や玩具会社が表立って(例えばそのゲームそのもののアニメ化とか)が多い。多分スポンサー契約は1クール毎なので、そういった意味から明確に分岐しているのだと思う。視聴率のこともあるし、2年、3年と続く作品は1話完結のものが殆どだ。
ただ、白状すれば、徳島なんて地方に身を置き、ケーブルもパラボラも無い俺には、話数うんぬん以前の問題で、とにかく色々と放映して欲しい。DVD買うのも限界がある。本数が多すぎて、もう興味があるから、だけじゃ買えないからな。
年間に製作されるアニメの本数自体は増えている(1作品が短くなっているので、当然)。MBSは結構頑張ってくれているので、他の局でも、もっと地方向けに放映してくれれば話数自体は関係ないか。
個人的には短い、長いに関係なくストーリーをちゃんと完結して欲しいとは思うが、ひょっとすると続編を作る可能性を考慮しているのか? アメリカのドラマは1シーズン24話を半年毎に放映するという方式だが、そんな方向に向かっているのかも知れない。
いずれにしても放映のバランスは極めて悪いとは思うが。
やっぱり面白い! 雑君保プ
ネットをやり始めて便利になったことは多いが、特に良いと思ったのが、e-hon。探している本をネットで注文、近くの書店に取り寄せる事が出来、重宝している。昔、よく読んでいたあの作家は? あの本はまだ買えるの? 等々、ちょっと前までかなりの労力を費やしていた調べごとが非常に簡単になった。
コミック・ゲーメストにワールドヒーローズの漫画を連載していた雑君保プも探していたもの。最近ではPSのキャプテン・ラブのキャラクターデザインでその健在ぶりを知った(キャプテン・ラブには、キャラデだけじゃなく、もっと色々とかんでいるような感じだ。まあ元々ゲーム系のネタで始めた作家の筈だから)。
ゲーメストを出していた新声社の倒産で、コミックは手に入らないだろうと思っていたが、著者名で検索してみたところ、メディアファクトリー、月刊コミックフラッパーのコミックを発見、早速購入した。
“そして船は行く”がそれ。大航海時代のカリブ海を舞台に、海賊潰しのアンとメアリーが仇を捜して大暴れ! という内容で、言ってみれば、大航海時代のダーティ・ペア&ワンピースな感じか? 全4巻。
昔に比べれば、絵は格段に上手くなっている。そしてハイテンションなギャグの連鎖は今だ健在。動きよりも、読ませるギャグが多いが、一発ギャグだけじゃなく、それを後々まで妙に引っ張るのは独特。久々に大笑いしながら読めた本だ。ストーリーが中途半端で打ち切りとなってしまったのが残念。是非、続きが読みたい。墓まで持っていくとか言わずに!
独特のノリが仇となったのか、マイナーなコミックフラッパーでも生き残れなかったということだが(あのテンションの中に入ってゆくには結構合う合わないがある。ピッタシあえばまさに至福!)、俺は現代の希代のギャグマンガ家の一人だと思っている。同人誌は出しているみたいだが、商業誌での新たな作品の発表が待たれる。
終わるべくして終わった世界名作劇場
かつてカルピス劇場と呼ばれていた世界名作劇場。手元の資料が紛失してしまったのでちょっと詳しい説明が出来ないが、20数年に渡って良質のアニメを提供し続けたことは全く凄いことだと思う。終了してしまったのが残念だ。
続行を望む声も多かったが、俺の考え方は少し違っていた。シリーズを続けることに無理を感じていたのである。
その理由は現在の放送にそぐわなくなって来たことに尽きる。初のオリジナル作品、七つの海のティコでスポンサーが増えたが、特番の増加で3クール全39話に短縮され、さらに未放映話まで出る始末。ロミオの青い空は全32話、以降2クール全26話で作品が作られることになる。
放映話数の短縮は作品の内容に大きな影響を与えることになった。若手も多かったのだろうが、演出がだんだんと短絡的になって来たのである。特に何年も悪者だった人間が、主人公の登場でコロッと良い人間になってしまうのは余りと言えば余りな展開だ。
だが1年間、50話以上使って切々と描いていかなければ、展開が短絡的に見えてしまうのは仕方がない。短い話数で内容を詰め込んでいくには、それも止むを得ない事だったのだろう。
しかし、この世界名作劇場というシリーズは、決してお手軽に感動を味わうものではないのである。最終作の家なき子レミは作画も綺麗で、主題歌にさだまさしを使い、話のラストにエンディング曲が被ったりとかなり凝っていたが、内容的にはやはり演出不足だった。まあ、ロミオの青い空でも、アルフレドが大人に殴られるシーンを直接描かなかったり(かなり不自然だった)レーティングが厳しくなってきたのも影響しているのだろう。
俺としてはこのまま続けるよりも、まだ良いタイミングで終了してくれたことを良かったと思っている。
しかし、最終作が家なき子レミとはちょっと皮肉だ。というのも、東京ムービー新社によって名作アニメシリーズとして家なき子が作られているが、これは日本アニメーションのカルピス劇場に対抗すべく作られたのである。これと宝島の2作品でシリーズは打ち切りになったが、どれも珠玉の名作物である。ひょっとすると、このシリーズに敬意を表して、最後の作品をこれにしたんだろうか。そんな気もしてくる。
なお、家なき子(サン・ファミーユ)の原作者であるフランスの児童文学作家、エクトル・マローはペリーヌ物語の原作者でもあり、原題は家なき少女(アン・ファミーユ)である。
俺の根幹、長靴をはいた猫
俺にとって最高のアニメは? と聞かれれば、間違いなくこう答える。昭和44年3月18日に公開され、以降、何度もリバイバル上映された。東映まんが祭りの看板作品で、東映のロゴに主人公のペロが描かれていることからもその人気が判るだろう。
今見てもまったく見劣りしない、日本アニメ映画界に燦然と輝き続ける極上のエンターテインメント作品である。当時の作品としては、他に太陽の王子ホルスの大冒険、ガリバーの宇宙旅行、空飛ぶゆうれい船等、好きな作品も多いが、これだけは別格。まさしく俺の根幹を成している作品である。特にペロのカッコよさ、デラシネな生き方は憧れだった。
内容はシャルル・ペローの原作に魔王ルシファーとの戦いを絡めた半オリジナル。東映動画製作で宮崎駿も参加しており、その内容から言って、後にルパン三世・カリオストロの城、そして千と千尋の神隠しに続く全てが詰まっていると言っても過言ではない。
原作の長靴をはいた猫はどちらかというとマイナーな作品だが、それはやはり独特の生臭さにあると思う。実際、童話といいながら、姫様を騙して幸せになるというオチは確かに安心して子供に読ませられる代物ではない(河出文庫から発売されている原作本には赤ずきんちゃんも掲載されているが、よく知られた内容とは違い、赤ずきんちゃんは狼に食べられたままである。)。原作は寓意に満ちた大人のための童話なのである。
多くの人間には、原作よりもこのアニメのストーリーのほうがインプリンティングされているのではないだろうか。それほどアニメーションの方は俺だけでなく色々なところで影響力を持った作品である。
因みにガイナックスのOVA、フリクリ第3巻マルラバで言及される長靴をはいた猫のストーリーは原作版のものである。
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